目を覚ますと、ただただ、真っ白な世界が広がった。
例えるなら、絵の具をぶちまけたような。
詩的に言うなら、処女雪のそれのように。
でも、どの言葉も似合わないと感じるような、そんな白。
一面の黒は、目を閉じれば見れる。
でも、全てが白に染まった景色なんて、まず見ることができない。
始めて見る景色だ。
そんな感想を目の前の白に抱きながら、私――木下洋子はぼんやりと辺りを見渡した。
目覚めた実感は何処にも無い。
まだ寝ぼけているような感覚があるけど、それでも、頭の中はすっきりしてる。
なんか、矛盾してる。
よくわかんない。
「あ……」
目を凝らして見れば、白一色と思った世界にも微妙な境目があるようだ。
遠くには地平線っぽいものが見えるし。
そして、すぐ目の前には……。
「テーブルと、椅子……かな?」
思わず、声に出しながら近づいた。
包み込む白一色の世界が、全てを飲み込むような気がして、声に出さないと自分さえも消えてしまう気がして。
私はゆっくりと椅子を引いてみる。
気をつけたつもりだけど、結構大きな音がした。
……周りがあまりに静かだから仕方がない。
そんな風に思いながら、ふと、気づく。
よく考えたら現状は結構……いや、かなりおかしいのではないだろうか。
というか、自分の部屋で寝ていたはずの私がこんな場所にいるわけ無いし……。v
もしかしたら、まだ夢の中に居るのかもしれない。
それにしては酷くはっきりとした夢だけど……。
「……座らないの?」
「うわあっ!?」
かけられた声に思わず飛びのく。
「…………」
いつから居たのだろう。
目線を向ければ、そこには女の子が立っていた。
背景に溶け込みそうな白いドレス。
そして、明らかに異質なのに何故か調和が取れてると思えるほどの、赤い、綺麗で長い髪。
その隙間から覗く目も、赤い。
だけど、これもまたぞっとするほどに白い肌の中にありながら、違和感らしいものは感じない。
――何処かで会ったような気がした。
けど、それらしい記憶は見つからない。v
「……座らないの?」
「えっと、座っていいの?」
「…………」
こくん、と。
小さく頷くのを確認してから、私は椅子に腰を下ろす。
よくわからない。
変な夢だな、と、そんな風に思った。
「あれ?」
その思いを掻き消すように、心地よい香りが鼻に届く。
それが紅茶の匂いだと気づけば、目の前に現れる陶器の器。
それは、突然現れたとは思えないほど自然に、湯気と共に心地よい香りを立ち上らせる。
……便利な夢かもしれない。
「……貴女も、きっと夢を見る」
「へ?」
あ、紅茶美味しい。
ていうか、飲みながら聞いても、いいんだよね?
……椅子に座っていいのなら、紅茶も飲んでOKだろう。
そんな勝手な理屈で口をつけた紅茶越しに女の子をみながら、とりあえず、聞き流そうと結論付ける。
「てか、今のコレも夢だよね」
「……」
「いやあ、現実なら色々びっくりというか、冷静になればなるほど無理があるかなーとか……あれ?」
「…………」
……返事が無い。
なんだろう、この気まずい雰囲気は。
何か言ってもらわないと会話にならないし、言いかけたのなら最後まで言ってほしいというか、その……。
「えーと」
……無口な子、なのかな?
「……時間は、戻らないから」
「え?」
「……時を戻すことができても、そこには、その時の貴女がいるから」
「……人に、過去を変えることはできないから」
「えっと……ごめん、いきなり過ぎてよくわかんないかな」
目をそらすように俯きながら、そう答えた。
言ってることは理解できる、けど、そんな当然のことを言われたって……困る。
そもそも、時を戻すことができてもって、そんな事できるわけないし。
目の前には、ゆらゆらと紅茶が揺れている。
白い陶器と、紅い水。
その対比が、そのまま彼女と重なって、抱いていた不安が大きくなる。
そうだ……怖いんだ、私。
冷静になって、現状を把握して。
その上で、理解できるレベルの理を話す彼女を、怖いって思い始めてる。
「……怖がらないで」
「っ……」
そんな私を見透かしたような言葉に、目に見えて緊張した自分を自覚した。
「…………」
「え、あ……そ、その、私……っ」
無言が怖い。
彼女の一挙手一投足が私を責めているように思えて、ただただ、それが怖くて……。
「……確認しただけ、だから」
「……え?」
「わかってるなら、それでいいから……」
「……怖がらないで」
「…………」
そう、呟く女の子はあくまでも無表情。
でも……敵意だけは、無いような気がする。
「……望んでも、決して叶わない」
「……貴女は、失ってしまったから……」
「う、失った? ……何を?」
「夢を、見る権利がある」
「えっと、夢って言われても……」
私の話を聞いているのか居ないのか、女の子は一方的に言葉を続けた。
――夢、夢、夢。
少女は夢の話を繰り返し、その合間に、現実の厳しさを言葉に載せる。
「……思うがままに、願ったままに、幸せな夢を」
「……幸せだった時を、見る権利がある」
――夢は幸せだ、現実は厳しい。
乱暴に咀嚼すれば、少女の主張はその一点に尽きて。
何を言ってるのか分からない。
ううん、良く分かるけど、だからこそ……理解が難しい。
――当然じゃないか。
恐ろしい夢も稀にはあるけど、それ以上に幸せな夢の方が多くて、どう足掻いても現実の方が厳しくて。
――余りにも当たり前の指摘を繰り返す少女は、やはり、理解の範疇を越えていて。
「……よく、分からないけど……楽しい夢が見れるのなら、大歓迎よ」
……ようするに、夢でくらい幸せな夢を見ようよって、そういう話……なのかな?
世界が、震えたような気がした。
けど……うん、よくわかんない。
よくわかんないから、なんとなく……なんとなく、私は思うんだ。
この子は、悪い子じゃないんだろう。
少女は無表情のまま私を見て、静かに、その口を開いた。
「……朝が、来る」
――夢の終わりを少女が告げる。
この子のことは全然理解できない。
けど、奇妙な親近感と、微かな既視感だけを覚えながら、じっと、無表情な少女を眺め見た。
「――さあ」
――夢が溶ける。
白が白にまみれて、視界が鈍くぼやけるのを意識しながら。
最後に、女の子と、その言葉を聞いて……。
「物語を、始めよう」
――何処かで聞いた声だと、そう、思った。
|